2018年:人生100年時代の日本スポーツ

かなり大げさな(かつ若干パクリっぽい笑)タイトルになってしまったが、今年からより本格的に考えていきたいなという個人的なテーマ。

きっかけは今度SBAで話すトピックを考えていた事で、セミナー告知(https://spobiz.ac/seminar/detail.php?sid=55) にも出てきているが、近年の日本スポーツでは「スポーツの産業化」(参照:「スポーツ未来開拓会議中間報告」 http://www.meti.go.jp/press/2016/06/20160614004/20160614004-1.pdf)が1つのキーワードになっている。詳しくは報告書を読んで頂きたいが、全般的には

「スポーツ産業の潜在成長力の顕在化、我が国基幹産業化へ 

・我が国GDP600兆円の実現

・スポーツをコアとして周辺産業に波及効果を生む、新スポーツ産業の創出」

が示すように、アベノミクス感が強い(「スポーツを通じて社会を豊かにし、子どもたちの夢を形にするビジョンを提示」などもあり、勿論アベノミクス感だけではないのだが)。

日本スポーツは確かに欧米のスポーツに産業化の点で遅れを取ってきた側面はあるので、理解もできるし、納得できる各論も数多い・・・にも関わらず何か「もやもや感」がずっとあった(余談だが、すぐにスッキリしようとお手軽な解決策に安易にはしらず「もやもや感」を持ち続けるのは良いことだ、とある人に言われてから、この感覚は大事にするようにしている)。

もやもやしつつ、最近行き着いたのは「このアベノミクス感はこの先数年の『未来の日本スポーツの姿』としては悪くないかもしれないが、果たして10年後・20年後の『未来の日本スポーツの姿』なのだろうか、と。

去年発刊・発表された、「人生100年時代の国家戦略 〜小泉小委員会の500日〜」や「不安な個人、立ちすくむ国家(経産省若手ペーパー)」では共に「人生100年時代」にマッチした国家戦略・モデルをトピックとしている(完成度・詳細度・焦点等々、異なるので、一緒くたにはできないが、大まかなトーンという意味で)。

前者は「レールからの解放」として、昭和時代から続いた人生モデルではなく、「レールを壊し、多様な日本を創る」と書いているし、後者は「昭和の人生すごろくのコンプリート率は、既に大幅に下がっている」「年齢に縛られない社会保障を通じ多様で複線的な社会参画を促すことで、持続可能な新たな社会モデルを築くことができるのではないか」と書いており、表現こそ違え、本質的には同じポイントを指摘・提案している。

全てのポイントに納得・理解している訳ではないが、大まかな方向性としては「アリ」だよな、というのが個人的な意見。そして自分が強く感じたのは、日本のスポーツの未来像はこの位先の未来の日本をイメージして今から取り組んでいく必要があるという事。

両者では、健康寿命、(地域コミュニティ参画含めた)人々の繫がり、生きがい、(学びなおし可能な)教育、等々、が触れられているが、全てスポーツが役立てるトピックだと思う。今の日本スポーツの立ち位置からすると、どれもチャレンジングではあるかもしれないが、本来社会の為のスポーツなのだから(勿論、持続化の為の産業化も重要なのだが)。

日本は社会課題先進国と言われるが、それならば「日本型のスポーツ社会課題解決」を外国に先駆けて創れば良い(そうしたら、将来他国にそれを輸出・・・なんて妄想も)。

こんな事をもっともっと突き詰めて「具体的に」考えていきたいな、という2018年の年始です。

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